考え方の違う社員同士の衝突

 コンサル会社である弊社は、新卒採用を実施しておらず、中途とインターンのみ採用している。異なる経歴を持つ人間が集まることで、会社の方針や提案に多様性が生まれているが、時折りそれが仇となる時がある。

 

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 とあるプロジェクトの話であるが、コンサルタント職出身の社員(A)と営業職出身の社員(B)が営業手法の提案内容を巡って揉めたのだ。Aは徹底的な数値主義に基づいた提案を主張するが、Bは営業先と人間関係を築くことで需要を発生させる人脈主義に基づいた提案を主張したのだ。どちらの提案も提案者の知識と経験則に裏打ちされているためクオリティは申し分ない。問題はどちらの提案を採用するかである。

 

 お互いが相手の提案を認めて引き下がらない原因は、相手の提案の内容を理解していない点にある。Aは数値とロジックに基づいた思考が利益に繋がると考え、Bはお客さんと個人的に親密になることが利益に繋がると考えているのだ。

 

 お互いに譲らない2人を調停するために、何をどう伝えるべきか考える必要がある。

パーティーカメラマンの感想

 お客さんが主催するパーティーを手伝いに行ってきました。お歴々も参加するため開催場所は都内の一等地、身の丈の合わない空間に多少の居心地の悪さを感じながら、カメラマンとしての任を全うしました。普段はメモの用途でしか写真を撮らない素人パーティーカメラマンの感想を書きます。

 

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 とにかく歩き回る。パーティーの様子を写真に収めるためには、刻々と状況が変化する会場内をグルグルと巡る必要があります。立食形式だったため、同じ場所でも全く違う人々が全く違う様子で交流をしているのです。なのでカメラマンとして私は会場を20周はしました。足がパンパンになりました( ・∇・)

 

 ひたすらにシャッターを切る。素人カメラマンが写真を撮っても大抵はピンボケ、変な構図、何か写り込む等の不出来な写真になります。そんな初心者が広報で使えるクオリティの写真を撮るための作戦が物量作戦です。とにかくシャッターを切ることで100枚に1枚はラッキーで良い写真が撮れます。満面の笑みで談笑する様子を撮れると嬉しかったです。

 

 お腹すく。パーティーの料理美味しそうなんだな〜〜〜〜〜〜〜〜。鯛のお茶漬け、牛肉のなんちゃら、なんちゃらのシチュー僕も食べたい。。。。空腹に耐えて仕事に集中するのです。仕事は厳しいですなぁ。

 

 いろいろ感想を書きましたが、なんやかんや初めてのパーティーカメラマン楽しかった🥳

 

はじめ!

 ハァァァーーーーーーーーーー!

 

ほりゃあーーーーーーーー!

 

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ヴァ!

 

ああ!

 

つぇ〜ーーーーーい!

 

面あり!一本!はじめ!

 

おおりゃーーーー!

 

へぁーーーーーあん!

 

おテェェェェェ!

 

小手あり!勝負あり!礼!

仕事の観点の話

 仕事を行う時には観点を意識する必要があると教わった。私はコンサルタント職に就いているため顧客から調査業務を頼まれることが時々ある。今回は基本的な観点を見落として不十分な成果しか出せなかったので戒めのために記録する。

 

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 仕事は全て発注者の意図が存在する。発注者はある原因によって、特定の結果が必要となり、それを入手するために仕事を頼むのだ。例えば、今年度中に追加で1000万円の売り上げが必要となり(原因)、新規の顧客を獲得すべく(特定の結果)、売り込み先の業界の調査を依頼するのだ(仕事)。

 

 しかし、今回はあろうことか原因の確認を怠ったのだ。新規の顧客を開拓するための調査業務であることは理解していたが、発注者が今年度中に売り上げを欲していることを把握しなかった。結果として生み出された成果物は1年以上の長期的な関係を築くことで、大きな売り上げが見込める新規の顧客情報のまとめとなった。もちろん、これは発注者の求めている成果物ではない。

 

 仕事は必ず発注者の意図が存在する。仕事を行う時は、何故この業務をするのかを常に意識しす必要がある。

飢餓感がない

 今日はモグリしている大学院の最後の授業日だった。伝統芸能を専門としている先生にお願いをして出席させてもらっていたが、来年からは別の大学に移るそうだ。授業が終わった後に一対一で話をしてくれた。本格的に大学院進学を考えているならば専門性の高い学部を選びなさいと。また企業で働く中でも学びの機会は数多く存在するから、様々な出会いを大切にするように教えてくださった。

 

 人生の次の進路に迷っている。起業を視野にビジネスの世界にのめり込むべきか、より深く学問を修めるために大学院に進むべきか。どちらの道も全力で取り組む価値のある魅力的な選択肢である。だけど、そもそも自分はそんな世界でやっていけるのだろうか?

 

 飢餓感がない。幸いにも両親に恵まれて生まれてから何不自由なく育てられてきた。勉強したければ塾に、習い事をしたければ稽古場に、遊びたければ旅行にも行かせてくれた。文章では書き表せない程の愛情ももらってきた。幸せ者である。だからこそ厳しい環境で育てられた人々と話をすると感じることがある。

 

勝てない。

 

 彼らには強い飢餓感がある。欲しくても手に入らなかったモノを何としても自分の力で手に入れようとする強い意志。脇目も振らず目的を達成しようとする行動力。そんなモノは私は持っていない。何故なら飢えたことがないから。彼らを見ていると自分は覚悟も無くフラフラしているだけの薄弱者である。

 

 自分の人生に悩んでいる。

電車内の広告はサービス系が多い

 雑多なメモ

 

 通勤電車の中でボーっと車内広告を見ていたら気がついた事がある。サービス系の内容が殆どである。婚活、フィットネスクラブ、英会話、脱毛などである。モノを買わせる広告はプレイボール誌しか視界には無い。理由を考えてみた。

 

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 気が付いたのは、一定期間継続して利用するサービスばかりな点だ。車内広告ではサービス系の中でも結果を享受するまでに時間がかかるジャンルが多い。婚活もフィットネスも英会話も脱毛も一朝一夕には完了しない。

 

 費用対効果の問題か?1つ買っておしまいの商品は不動産などの利益が大きいジャンルじゃないと割に合わないのでは?だから継続的に料金を払うシステムのサービスが車内広告には多いのではないだろうか?

 

 車内広告が他の媒体を用いた広告と異なる点は、比較的に長い時間ターゲットの視界内に収まり続けることだろう。TVCMは15秒か30秒だけ、ネットとチラシは視界から取り除けるし、ポスターは立ち去れば其れ迄である。だが車内では多くの人が1カ所に留まったまま目的地に向かう。よって同じ広告が視界内に映り続けるのだ。

 

 スマホの台頭による広告効果の減少。視界ないに車内広告はは存在するが、ターゲットの焦点はスマホの画面では?現に僕は車内広告ではなくスマホを見ている。

 

 今後は車内広告を見ている人を観察することにしよう。